太宰府梅園アンテナ(梅園広報部)

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太宰府梅園アンテナ(梅園広報部)

長政公の寄進を辞退した竃門山神社 筑前國続風土記から 2015/1/15(木)

 太宰府天満宮や竃門山神社は、戦国期を乗り越えて今にあるわけですが、歴史的に著名な人物からも大切にされてきた歴史があります。


 天正15年、秀吉公は九州征伐を終えたあと、宝満山に登っています。この時、三層の高櫓を山中二ヶ所に建てられたと言われています。また文禄2年には小早川隆景が同様に宝満山に登って権宮司重圓法印と会い、毎年百石の寄進の約束をしました。この時、社殿の造営も約束しており、神殿、拝殿、講堂、鐘楼、行者堂などを寄進しています。


 関ケ原のあと、小早川家に変わって筑前に入った黒田長政公もやはり宝満山に登っています。この時、長政公は「竃門山社は古来からの由緒ある社であるから社領として三百石を遣わそうと思うが……」と仲谷坊經實に申し向けられました。これを受けた經實は社に持ち帰ってみなで協議をしたそうですが、結局のところ「僧侶などという存在は衣食が足りてしまえば修行の心が薄くなってしまう。受け取るべきではなかろう」ときまり社領は辞退しました。


 とはいえ、長政公はその後も折々、宝満山に登られたようで、最終的には二十五石の地を寄進したとのことです。その後、四代綱政公の時にも二十五石が寄進されて、合わせて五十石の神領を持っていたと筑前國続風土記には書かれています。


 Photo by Yuichi Hirasawa
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宝満山
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