太宰府梅園アンテナ(梅園広報部)

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太宰府梅園アンテナ(梅園広報部)

竃門山城 宝満山にあった堅牢な城 2014/12/26(金)

 貝原益軒が書いた『筑前国続風土記』には御笠郡の章があり、太宰府周辺のこともたくさん書かれています。江戸初期には一国一城令が出されて、古くからあった城が廃城となりましたが、この太宰府周辺にもたくさんの城がありました。


梅園を代表する和菓子『宝満山』は、太宰府天満宮の北東に位置する標高829mの宝満山からいただきましたが、この山は古くは『竃門山(かまどやま)』とも呼ばれていました。この竃門山にあった城が『竃門山城』です。


 その昔、怡土郡にあった名門原田氏の原田泰種の子が、筑後の高橋へと進出し、そこを領地として高橋氏を名乗りました。時は流れて建武3年、摂津の合戦で足利尊氏は新田義貞に破れて九州へ下りました。尊氏は捲土重来を期すため、九州の兵を糾合して再び北上していきましたが、肥後の名門菊池氏への押さえとして検断を残していきました。高橋氏はこの検断として足利尊氏を支えていました。
 

その後、戦国期に入ると豊後の大友氏は勢力を拡大し、九州の多くの諸将は大友氏に臣従していきます。同様に高橋もだんだんとかつての威勢を失い、最後は大友氏に臣従するようになります。


天文の頃、当主であった高橋長種が筑後高良山の僧侶を殺害したところ、その僧侶の怨霊が迷いでて長種を悩まし、長種は病死してしまいます。


子がなければ家は断絶ですので、高橋の家臣が大友義鑑に養子の斡旋を依頼したところ、大友家臣の一万田親敦の子、一万田右馬助が高橋の家督を継ぐことになり、高橋鑑種と名乗るようになりました。


竃門山が天然の要害であることを知った高橋鑑種は、ここに『竃門山城』という山城を築き、筑後高橋から拠点を移して反大友の勢力を抑えていました。四王寺山にある『岩屋城』もこの竃門山城の端城のひとつです。
 

 ところが、永禄10年(1567年)、大友宗麟(当時は義鎮)が、高橋鑑種の兄である一万田弾正を殺害する事件が起きます。宗麟が弾正の美しい妻を横取りしようとして、弾正を殺害したと言われていますが、これについては諸説あってはっきりしません。いずれにせよ、兄を殺された高橋鑑種は宗麟に恨みを持ち、竃門山城にこもって戦支度を始めます。
 

高橋鑑種に謀反の疑いありの報せが豊後に届くと、宗麟は戸次鑑連(のち立花道雪)、臼杵鑑速ら数万の大軍を太宰府へ派兵して竃門山城を攻めさせました。端城であった岩屋城はすぐに落城しましたが、竃門山城はなかなか落ちません。


当時の山城は自然の地形を利用して掘切(尾根を切断して崖を作る)や空堀などを巡らすものが主流でしたが、竃門山城は石垣を積んでその上に塀を作り、その塀に矢狭間などをたくさん並べた堅牢な城だった様子が続風土記に書かれています。今では当たり前の城の姿ですが、当時としては斬新なものだったのかも知れません。


さて、竃門山城を攻め取ろうにも守りの堅い城だけに、力攻めにすれば味方の損害も大きくなってしまいます。そこで、戸次鑑連らの諸将は山麓に陣を敷いて、竃門山城を取り囲んで兵糧攻めに転じました。しかし、高橋鑑種は密かに毛利氏と通じていましたので、毛利元就は竃門山城救援のため後詰(援軍)を繰り出してきました。


さすがに毛利元就が絡んでくるとなると大友宗麟も安穏とはしていられません。ひそかに策を練った宗麟は、毛利氏に滅ぼされた尼子氏を調略して毛利領内で挙兵させることで、九州から毛利を撤退させることに成功します。これで孤立無援となった高橋鑑種は降参して開城します。宗麟は、鑑種を助命しましたが、所領は没収。鑑種は、その後剃髪して宗雪と名を変えて香春城で静かに暮らしたようです。


 しかし、竃門山城は大友の筑前支配の要衝です。そのまま城主不在というわけにはいきません。そこで、吉弘鑑理の次男を高橋鑑種の後継として、高橋家を継がせました。これが高橋鎮種、のちの高橋紹運となります。


この高橋紹運も岩屋城籠城戦で、数万の島津軍と互角以上に戦い、落城とともに自害しています。この戦いぶりを秀吉公から「九州一の義士なり」と褒められ、実子である立花宗茂は大友家臣から秀吉公直臣である大名に取り立てられました。


この立花家は紆余曲折ありましたが、幕末は柳河藩として明治を迎え、その別邸は『御花』として今でも柳川に残っています。


 ※写真は宝満山麓にある竃門神社です。


 Photo by Yuichi Hirasawa
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竃門神社
竃門神社

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