太宰府梅園アンテナ(梅園広報部)

写真

  • この専門家のプロフィール
  • この専門家に問い合せる
  • 有限会社梅園
  • 福岡県太宰府市宰府2丁目6-16
  • 092-922-4058

太宰府梅園アンテナ(梅園広報部)

二日市合戦 大宰府近郊の戦い 2014/12/20(土)

 太宰府や二日市周辺は戦国期を通じて多くの合戦が行われました。有名なものは四王寺山中腹にあった岩屋城を巡る攻防戦ですが、それ以外にも大小さまざまな合戦が行われています。


というのも、筑前は博多という貿易港を抱えており、その貿易港から得られる利益を巡って中国の毛利氏、豊前の大友氏、肥前の龍造寺氏が互いに鎬を削っていた場所だったからです。


 織田信長公が安土城を築いていた頃の情勢としては、太宰府の竃門山城に大友家臣高橋紹運。今の福岡市東部にあった立花山城には大友家臣立花道雪。今の福岡市南部にあった安楽平城には大友家臣小田部紹叱。同じくその南西の南面里(なめり)の鷲ヶ嶽城には大友家臣大鶴宗雲。さらに糸島にあった柑子岳城には大友家臣木付鑑実。この支城ネットワークで大友宗麟は筑前を押さえていたわけです。


しかし、反大友の力も侮りがたいものがありました。大友憎しに燃える秋月種実や筑紫広門、糸島の国人衆をまとめた原田弾正、破竹の勢いの龍造寺隆信らとの合戦により大友方の支城はひとつひとつ落とされていったのです。


 天正7年(1579年)の4月、これらの秋月種実や筑紫広門を討伐するため、大友宗麟は家老の志賀道魁を大将とする討伐軍を起こしました。しかし、反大友の国人衆である杉連並、麻生元重、宗像氏貞、許斐氏備らに四方を囲まれてしまい万事休す。もはやこれまで……というところで、立花城から立花道雪、竃門山城から高橋紹運が駆けつけて、敵方を散々に蹴散らし彼らを救い出すことに成功します。


 この秋月種実、よほど竃門山城や岩屋城が気に障ったのか、たびたび太宰府近辺に攻め込んでおり、この前年の合戦では、潰走時に大宰府天満宮に放火したことがありました。当時の宮司であった勾当坊栄重は燃え盛る柱に身体を縛りつけ神霊に詫びるとともに秋月の暴逆を憤り焼死したとも伝えられています。もちろん、天満宮の猛抗議を受けて秋月種実はその後謝罪したといわれています。


 古来から要衝であった太宰府周辺は戦と無縁ではいられなかったわけです。歴史好きな方はぜひ近郊にも足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。次回は竃門山城について書いてみたいと思います。

大宰府天満宮
大宰府天満宮

Copyright (C) chikushi-navi. All Rights Reserved.